k新元号が令和になり1ヶ月が経過いたしました
令和って実感は未だに湧いてきませんが、すでに平成が懐かしくもあります
令和の時代は昭和40年台に日本全体に沸き起こったボウリングブームのように脚光を浴びるようになるといいですね
例えば
マイボール持ってると女子にキャーキャー言われる
200点出すと同僚から神と崇められる
街中でボウリングバッグ引いて歩く若者がいっぱいいる
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こんな感じね
昭和のボウリングブームの時はボウリングやってるとモテたんだろうか?
その頃の事情に詳しい人教えてください
今回は平成のボウリングを振り返ってみましょう
平成の初頭の僕は高校生
部活動が終わってボウリング場でアルバイトを始めた頃
最近のボウリングを始めた人はわからないと思いますので平成31年の歴史をザクザク~っと振り返ってみます
若干記憶が定かじゃないとこあるけどね
平成の進化と記憶
コンピューターボウリング
平成2年高校性の時に地元のボウリング場でアルバイトを始めた芦川和義
その頃のボウリング場はコンピューターボウリングが導入されており、週末は地元の小さなボウリング場にも待ち時間が長く発生していました
当然勝手にスコア計算してくれるので手書きでは計算方法がわからなくてもボウリングを楽しめる様になりました
ちなみに、未だにボウリングの計算方法が微妙な芦川和義はコンピューターボウリングでなければやりません
計算はできるんだけどすっごい時間かかってこうなります
早くしてー
By ナゲルマン
ウッドレーンから新しいレーン素材へ
設備的のもう一つ大きな変化といえばレーンの素材
ウッドレーンは文字通り木を繋ぎ合わせている物です
レーン表面のコーティング剤を塗り直すリコーティングや数年に1度レーンの凹凸を無くすために平らに削るリサーフェイスと言う工事が必要でした
昭和40年台に建設された多くのボウリング場は、平成初頭には20年経過しており凹凸を無くすために削るリサーフェイスが困難になってきたことやランニングコストを削減するために、ウッドレーンの上に木目が印刷されたアーマーレーン(プラスチックレーン)を乗せるという工事をするボウリング場がチラホラ出始めました
ウッドレーンは今では貴重な存在となっており年々少なくなっているため投げる機会は少なくなってきています
ボールがウッドレーンに落ちるドーーーンていう低い音が昭和生まれの芦川和義的には気持ちいいポイント
写真はレーンのアップです
木目の柄が印刷されていますが人工的に作られた1枚の大きなプレートなので表面もツルツルしてて綺麗です
メーカーによって板の硬さやボールの動き、見た目にも薄い色だったり濃い色があります
またウッドレーンに比べて表面が硬いので、これまで主流となっていたウレタン素材の玉では曲がりが出難くなってしまいました
ここで登場してきたのがウレタン素材よりも摩擦が高い新表面素材です
リアクティブウレタンの登場
レーン素材が変わっていくことに伴いボウリングの玉も進化を遂げました
平成初頭まで主流だった表面素材はウレタン
AMFのアングル
コロンビア300のブラックコロンビア
ハイスポーツのパワーエリート
ABSのTバランス
ブランズウィックのライノ
↑
懐かしい
そして今はボウリング業界からは撤退してしまいましたがアシックスのパーフェクトプロなんてのが多く使われていました
写真が無いのが非常に残念!!
そして、ウレタン黄金時代に突如現れたのはウレタンよりもドライゾーンでの摩擦が強い新素材
↓
米国Nu-Line社から発売されたX CALIBUR(エックスキャリバー)
これはもう衝撃的な玉でした
リアクティブ素材の玉第1号(たぶん)でそれまでのウレタン素材では考えられないような入射角を誇りストライクが容易に出せるようになりました
ピン前で急激に向きを変え見たことない角度でポケットに当たるのを見てすっげー曲がるじゃーんって驚きまくりでした
当時学生だった僕にはニューボールを買えるわけもなく大人たちが投げる玉を羨ましく見ているだけでした
うる覚えですが当時のプロトーナメントのTV決勝進出選手全員がこの玉を使ってたこともあったと思います
ウレタン素材に比べ表面がペタペタと吸い付くような素材でオイルゾーンを抜けてからのドライゾーンでの急激な曲がりと驚異のピンアクションがボウラーを魅了しました
Xキャリバーの発売以降、ボウリングボールメーカーがリアクティブ素材の玉を開発し多くの新製品が発売されていきました
そしてリアクティブウレタンが発売されたと同時に発生したのが
なぜ抜けないのか?
それはこちらの記事を御覧ください
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サムソリッド入れないと抜けないって聞くけど本当なのか?
マイボウラーのマストアイテムとも言えるサムソリッド
装着している人がほとんだと思うけど入れないで投げてみるとどんな効果があるのか?わかるだろうってことで素掘りで投げてみましたよ続きを見る
親指の周りにスキンパッチを貼り付けてみたり、指穴内にインサートテープを1周貼ってたのが今や懐かしい思い出です
そういえば当時はリアクティブウレタンのことをウェット・ウレタンて呼んでましたね
親指抜けねー問題解消の神アイテム
リアクティブウレタンの発売と同時に親指抜けねー問題が全国的に広がりましたが、問題を根底から解決する神アイテムが注目されました
今やマイボウラーのマストアイテムになった
このアイテムがあったことでリアクティブ素材最大の難点だったサムの抜け具合が解消されました
おそらくですが、このアイテムが無ければ今へと続くリアクティブ時代の繁栄はなかったことでしょう
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コレって何のため?~サムソリッド編~
サムソリッド入れてる方多いですよね? 彼はいったい何者なのでしょうか そもそもサムソリッドって何?って方含め紹介します サムソリッドの登場です サムソリッド この姿 本当の姿では無いのです 彼の本当 ...
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当時はこんなデカイ穴開けちゃって良いのか?とても不安になったり、ビビってサムソリッドを打ち込んでいたために瞬間接着剤が途中で固まったりしてよく失敗したのも思い出しました(笑)
サム抜け事情がクリアになったことでリアクティブ・ウレタン素材は各社から発表されました
ブランズウィック社 カンタムシリーズやゾーンシリーズ
AMF社 NINJA RPM
エボナイト社 NITRO/R
コロンビア300社 パワートルク
トラック社 クリティカル・マス
ハイスポーツ社 ネオジャスパー
アシックス社 アムコス
レジェンドスター社 ハイテクシリーズ
いずれもリアクティブ・ウレタン創成期に発売された玉たち
懐かしすぎる~
まとめ
僕が初めて投げたコンピューターボウリングは高校生の時
地元の隣町にあったボウリング場でした
フロントで受付をしてハウスシューズを借りて友達とワイワイしてました
偶然にもプロボウラー塚原次雄さんが隣のレーンで練習していたんです
ギュインギュイン曲がる玉を投げてるのを友達と「すげー」って言いながら「おじさん上手いっすねー」なんてなれなれしくしてました
この時はプロボウラーとも知らずにお喋りしてましたが、後にそれが日本を代表するトッププロボウラーだと知りかなり驚きました
ストライクやスペアが出るとオーバーヘッドモニターに表示されるスコアのマークが周りの人達にも見えるので、とても誇らしげで嬉しかった記憶があります
新素材レーンで初めて投げたのは確か19歳だったかな?
横浜にできた新横浜プリンスホテルボウリングセンターが初めてでした
既にマイボウラーだった僕は、普段投げていた地元のボウリング場と比べアプローチの滑り具合がかなり違いアタフタしたのと、ボールが全然曲がらくて困惑した思い出があります
初めて買ったリアクティブ素材の玉はコロンビアから発売されたザ・ビーストでした
確かアルバイト先の支配人に分割払いにして欲しいと頼み込んで買いました
嬉しくて嬉しくて大事に使っていました
次は平成中期のボウリング進化あれこれとしてレーンメンテマシンとさらなる玉の進化を紹介します